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東京地方裁判所 昭和31年(行)2号 判決 1958年2月07日

原告 国

被告 中央労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

原告代理人は

「被告が中労委昭和三〇年不再第一号不当労働行為再審査申立事件について、昭和三〇年一一月三〇日附でした命令を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

被告代理人は

「主文同旨の判決」

を求めた。

第二請求の原因

一  佐藤武男は昭和二四年六月より技師、昭和二八年三月より顧問として、佐貫勇は昭和二五年二月より特殊通訳翻訳者として、中村清哉は昭和二四年七月より特殊通訳翻訳者として、西山陽は昭和二五年一〇月より技師、昭和二八年一月より顧問として、いずれも原告に雇用された駐留軍労務者であつて、いずれも東京都に事務所を有する在日米軍調達部東京支部(以下、支部と略称する。)に勤務していたが、原告より佐藤および佐貫は昭和二八年六月二七日、中村は同月二九日、西山は翌七月二〇日いずれも解雇された。

右四名は昭和二八年八月六日東京都地方労働委員会に対し東京都知事を被申立人として右四名の解雇は労働組合法第七条第一号の規定に違反する不当労働行為であるとして救済の申立をしたところ、同委員会は「申立人佐藤武男、同佐貫勇を昭和二八年六月二七日当時の、同中村清哉を同月二九日当時の、同西山陽を同年七月二〇日当時の各原職またはこれと同等の職に復帰させると共に解雇から原職に復帰するに至るまでの間の同人等の受くべかりし諸給与相当額を同人等に支払わなければならない。」との命令を発した。

これに対し東京都知事は昭和三〇年一月一一日被告に再審査の申立をしたところ、被告は同年一一月三〇日附命令書をもつて「右再審査申立を棄却する。」旨の命令を発し、この命令書写は昭和三〇年一二月一三日東京都知事に送達された。

二  しかしながら、右佐藤武男外三名は、いずれも同人等の組合活動を理由として解雇されたものではなく、次の理由で解雇されたものである。

すなわち

(一)  佐藤武男の解雇について

同人は昭和二七年六月以後は支部の化学物資関係の検査に当つていたところ、同年一一月までの間に同人が検査したクレオソート着色材、材木、床塗りワックス、炭酸ガス等の物資で検査の不備のため船積を拒否されたものが一一件を数え、さらに同年一一月一二日に、炭酸ガスの検査不備のため一週間の出勤停止の処分を受け、また昭和二八年四月九日には床塗りワックスの容器の検査が不備で明らかに規格に合わぬものを合格としたため、再び一週間出勤停止の処分を受けたものである。

よつて、同人は検査の事務に従事する者として信頼を措きがたいものとされ、昭和二八年五月契約指導部へ配置換され、同年六月初旬より工場調査の事務を手伝わしめられたのであるが、この工場調査の事務についても、同人の仕事振りは消極的かつ非能率的であつたので、この事務にも適さないとされて、この職場からも離れさせられ、ついで契約指導部の仕事についたが、その勤務成績も前と同様不良であつたのである。

右のような次第で、同人は支部の要求する基準に達しないものとして解雇されたのであつて、六月二七日の解雇は、もつと早い時期になされるべきものがたまたまこの時期に延引されたものに外ならない。

(二)  佐貫勇の解雇について

同人は昭和二五年二月以来特殊通訳ならびに翻訳者として雇われ支部の人事および諸給与係の事務に従事していた。

(1) 昭和二八年三月一六日に支部勤務者沼田礼厚が語学試験を受けて合格し、語学加給手当が支給されることになつたが、他の同試験合格者にはいずれも同年四月一日から右手当が支給されたのに、右沼田にはその支給がなされなかつた。

その理由は、佐貫が給与係としての職務上当然なすべき沼田の職種変更証明書を労務管理事務所に提出するのが遅延したためである。右証明書は同年四月一四日に至り漸く提出されたので、沼田は五月分から右加給手当を受けることができたが、他の者に比して一ケ月間手当を支給されない不利益を受けたこととなつたのである。

(2) 支部の日本人従業員の出張旅費については、概算払の制度があり、出張者において自費で立替えて出張する必要もなかつたのであるが、給与係である佐貫は概算額支給の手続をとることを怠つたため、各自自費で立替えて出張するのやむなきに至らしめ、しかも出張後の旅費の請求につき佐貫は、その支払証明書を労務管理事務所に提出するに当つて、常に一ケ月分を取りまとめて提出していたので、旅費の支給は遅れ、出張の時から六週間を経て支給されるようなこともある有様であつた。そしてこの一ケ月分のとりまとめについては労務管理事務所と打合せれば容易に一週間分のとりまとめ提出によつて支払の促進を図り得るにもかかわらず、佐貫は出張者の間に苦情が起つてもなおこれを放置していたのである。ところが、佐貫はこの旅費支給の遅延について、昭和二八年五月頃ブリッヂス中尉から注意を受け、さらに同中尉が労務管理事務所に手紙を出し支払の促進を図つてみようと述べたのに対し、同事務所の多忙による遅延だから無駄であると答えたのであるが、同中尉が同事務所に手紙を出した結果は、佐貫の言と異り、一週間分とりまとめ提出の話がまとまつて、それ以後旅費の支給は促進されることになつたのである。

右の二つの事例は、佐貫が人事および給与の事務を担当しているにもかかわらず、自己の担任する事務の処理に積極性を欠き、非能率的であつたことの現われであつて、職員の福祉について関心を持たないとの印象を軍関係者に強く植え付けたのも当然であつた。

(3) それのみならず、同人は通訳および翻訳者として二名のタイピストを監督して英文のタイプに当つていたが、口頭で指令されることを英文にタイプする能力を欠き、ために英文のタイプには米人自ら起案するを余儀なくされるのが常であつたし、また同人のなす校正が不備のために文書を打ち直すことが屡々繰り返えされたのである。

右の次第で、同人は支部の要求する基準に達しないものとして解雇されたものである。

(三)  中村清哉の解雇について

同人は昭和二四年七月以来通訳兼翻訳者として雇われ、支部において契約管理事務に従事していたが、昭和二八年六月二九日の解雇の前数ケ月の勤務成績は不満足なもので支部の要求する基準に達しないものとして解雇されたのである。勤務成績不良の事例は、次のとおりである。

(1) 米人顧問から署名を忘れた文書の返還を求められたのに対し、中村はこれを拒否し、命令に服従しなかつた。

(2) 検査の目的のため廻付された見本を、中村は生産部の長に廻付せず、自己の机の抽斗に入れたままでおいた職務怠慢の所為があつた。

(3) 中村は契約者に対する問合せ通知等をする事務に従事していたが、該通知書の処理がしばしば遅延し、米人監督に注意されて始めて処理に当る有様であつた。

(4) また中村は万能統制カードを処理する事務に当つていたが、カード制全体の操作が円滑にゆかず、ために右カード制は一時中止された。ところが、後に右カード制が復活され、他の者に処理させたところ、円滑にカードが操作されるようになつた。これによつて中村の事務処理が右カード制運用の狭略をなしていたことが判明するに至つた。

右のとおり、同人は、仕事に対する注意を欠き、執務は消極的で、一般的に能率が低いものであつたため解雇されたのである。

(四)  西山陽の解雇について

同人は、昭和二五年一〇月以来検査員として雇われ、支部において、機械の部品検査の事務に従事していたが、検査員として信頼しがたいため昭和二八年六月三〇日支部隊長より事務部に配置換を命ぜられたのに対し、これに服さなかつたので解雇されたのである。

検査員として信頼できなかつたとされた理由としては、西山の検査した部品で船積の際に検査不備のため船積を拒否されたものが相当回数に及んでいることのほか、西山が白木金属工業会社における風除けの中間検査の事務に従事していた際、米人監督がたまたま同社を見廻つたところ、西山が応接室で茶を喫していたのみならず、同社には生産見本も準備されていなかつたことがあつたこと、けた他の場合軍給資材の監督が十分でなかつたことなどである。

支部において、検査員として信頼できなくなつた者を引き続き検査事務に従事せしめる訳にはいかないことは当然でそのため支部は、西山に対し配置転換を命じたのであつて、これを故なく拒否することはできないわけである。しかるに、同人はこの命令に服さなかつたのであるから、解雇以外に方法がないことは当然である。

もつとも、西山の命ぜられた配置転換は、技術系統から事務部面への配置換では、あつたが、諸給与において不利益を来すものでなくまた事務部において勤務について経験を積むことも無意義ではないのであるから、この故をもつて配置換の拒否を正当視することはできない。

三  以上本件四名の解雇はそれぞれ上記事由によるものであつて、なんら同人等の正当な組合活動を理由としてなされたものではないのであるから、これを不当労働行為であるとして、原告の再審査申立を棄却した被告の命令は違法である。

四  なお、被告が支持した前記東京都地方労働委員会の命令は佐藤外三名の原職復帰を命じているが、米軍はこれを拒否しているので、原告として同人等の原職復帰をはかることは不可能である。

従つて、使用者に履行不能な原職復帰を内容とする前記都労委の救済命令を支持した被告の命令は違法である。

五  以上何れの理由によるも、被告の命令は違法であるからその取消を求める。

第三被告の答弁

一  原告の請求原因第一項は認める。

二  同第二項について

(一)  佐藤武男が原告主張の日時支部の化学物資関係の検査に当つていたこと、同人が原告主張の各日時その主張の理由によりそれぞれ一週間の出勤停止処分を受けたこと、同人が原告主張日時契約指導部へ配置換され、工場調査の事務を手伝つたことは認める。

(二)  佐貫勇が原告主張の日時より特殊通訳翻訳者として雇われたこと、同人が支部の人事および諸給与係の事務に当つていたことは認める。

同人の解雇理由に関する原告の主張(1)のうち佐貫が沼田礼厚の職種変更証明書を労務管理事務所に提出することは佐貫の職務であつて、同人がこれを怠つたため、沼田が原告主張の不利益を受けたことは否認する。その余の事実は認める。

右(2)中支部勤務日本人従業員の出張に対する旅費に概算払の制度があつたこと、出張者の旅費の請求について、佐貫がその支払証明書を労務管理事務所に提出するに当つて、常に一ケ月分をとりまとめて提出したこと、昭和二八年五月頃ブリッヂス中尉が労務管理事務所に手紙を出し、支払促進を図つてみてはどうかとのべたことは認める。

(三)  中村清哉が原告主張の日時より通訳兼翻訳者として雇われ支部で契約管理事務に従事していたことは認める。

(四)  西山陽が原告主張の日時より支部において機械の部品検査の事務に従事していたこと、同人が原告主張の配置転換の命令を受けたこと、この配置換は技術部面から事務部面への配置換であるが、諸給与において不利益を来すものでないことは何れも認める。

(五)  以上の外佐藤武男外三名の解雇理由に関する原告の主張事実は否認する。

同人等の解雇については別紙被告の命令書第二、三、四項の事実があり、これらの事実から見れば、右命令書第五項のとおり右解雇は労働組合法第七条第一号の不当労働行為であると認むべきものであり、被告の支持した東京都地方労働委員会の救済命令は何も不能な事項を命じたものでないから、被告の命令の取消を求める原告の本訴請求は理由がない。

第四被告の答弁に対する原告の陳述

別紙命令書第二、三、四各項記載の事実を認める。

しかし、右第三項記載の佐貫の発言は、ボーリング大尉が退席したのちに行われたものである。

第五証拠<省略>

理由

第一原告の請求原因第一項の事実は当事者間争ない。

第二佐藤武男の解雇について

一  佐藤武男が昭和二四年六月以来支部の技師次いで顧問として雇われ、昭和二七年六月支部の化学物資関係の検査に当つていたが、同年一一月一二日炭酸ガスの検査不備の理由により、次いで昭和二八年四月九日床塗りワックスの容器の検査が不備で明らかに規格に合わぬものを合格としたとの理由により支部隊長ボーリング大尉からそれぞれ一週間の出勤停止処分を受けたこと、更に佐藤武男は同年五月検査係から契約指導部へ配置換されて、同年六月初旬より工場調査の事務を手伝つていたことは当事者間争ない。

なお、第三者作成にかかり真正に成立したものと認める甲第八号証の二の一ないし九、同一二および証人佐藤武男の証言によれば、同人が同年四月までに検査して合格としたものの中八件が仕様書に合致しないことを理由に荷受けを拒否されたこと、以上の同人の検査上のミス特に前記第二回目の出勤停止処分を受けた結果、同人は前記のように契約指導部へ移されたことが認められる。

しかし、原告が主張しているように佐藤武男が工場調査の事務について仕事振りが消極的、かつ、非能率的であつたことについてはこれを認めるに足りる証拠はない。

成立に争ない甲第九号証中この点に関する記載は、真正に成立したと認める甲第五号証中の「佐藤が工場検査の方面においてより多くの才能を示した。」との記載と必しも調和しないので、たやすく信用できないし、他に右原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

二  佐藤武男が原告主張のような理由で解雇されたものであるかどうかを見ると、

(一)  佐藤武男は、前記認定のとおり原告主張の検査上の過失により、すでに処分されていること、また同人が新しい工場調査の事務に従事してから一月足らずで解雇されたこと

(二)  その間の同人の仕事振りが消極的で非能率的であるなど前記処分の後、信頼関係を破る原因となるべき事由があつたとの証拠がないのに徴すると、業務上の欠点につき既に処分がなされたのに拘らず別段の事情なく更にこれを理由として解雇するのは常識上首肯し難いところであり、むしろ他に意図の存在を疑わさせること

(三)  成立に争ない乙第五号証の二の証人佐藤武男の証言によれば、別紙命令書記載の組合結成大会の開催される前日である昭和二八年六月二六日佐藤武男が支部隊長ボーリングに組合結成の報告をした直後同支部勤務のガッシャード軍属(隊長補佐)が佐藤の検査上の書類を調査し、「お前はこんなミスがあるのにかかわらず組合の先頭に立つているのか」といつたことが認められること

(四)  成立に争ない乙第四号証によれば、佐藤武男の解雇前は、検査員の解雇についてボーリング大尉は事前に同支部特殊技術顧問として支部勤務の全日本人技術者の監督に当つていた柴橋貴恭に相談していたのに、佐藤の解雇については事前に相談せずに行い、同人解雇の翌週、柴橋に対し隊長より佐藤に解雇を納得させ、身分証明書を提出させるように話があつたが、柴橋は佐藤の解雇は不当であるからとこれを断つたことが認められること

(五)  証人柴橋貴恭の証言により、佐藤武男の解雇前に検査員で解雇された者は検査上のミスの外に検査に関して利益を受けたことが理由となつておること、佐藤武男は検査員としては、むしろ優秀な方であることが認められる。

以上の諸事情と当事者間争ない別紙命令書第二、三、四の事実とを総合して見ると、佐藤武男の解雇の真の理由は、同人が組合結成運動の中心的人物として活動したことにあり、原告主張の検査上のミス等のごときは右解雇の真の理由を隠蔽しようとする口実にすぎないものと認めるのが相当であつて、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

第三佐貫勇の解雇について

佐貫勇が昭和二五年二月より特殊通訳翻訳者として原告に雇用され、支部に勤務していたことは当事者間争なく、証人佐貫勇の証言によれば、同人は昭和二七年九月より支部の人事係および諸給与係の事務に従事していたことが認められる。

一  沼田礼厚の語学加給手当の支給遅延について

支部勤務の沼田礼厚が昭和二八年三月一六日語学試験を受けて合格し、語学加給手当を受けられることになつたが、同じ時期に合格した者は同年四月より右手当の支給を受けられたのに沼田のみは一月遅れた同年五月一日より支給されたことは当事者間争ない。

成立に争ない甲第一三号証の一、三、証人岡富慶三郎、同佐藤保、同佐貫勇の各証言によれば、(1)沼田礼厚は昭和二八年二月職種変更により語学試験を受けることとなり、同年三月九日職種変更による語学能力考査申請書を当時支部において人事関係の職場責任者であつた佐貫勇を通じて提出した際、同人において沼田の職種変更証明書を添附しないで、これを渋谷渉外労務管理事務所に提出したこと、(2)沼田が右試験に合格したのち、東京都外務室において沼田の前記申請書に同人の職種変更証明書が添附されていないことを発見し、その提出を要求し、これが同年四月一四日佐貫より提出されたため、沼田の語学加給手当は同年五月より支給されたことが認められる。

証人佐藤保の証言によると、東京都昭和二四年七月二五日附渉管発第六八五号東京都における駐留軍労務者臨時語学加給査定事務取扱要綱は、職種変更による語学能力考査申請には、職種変更証明書を添附させるよう定められていることが認められるが、右要綱はいわゆる労管等の渉外労務管理機関の部内における取扱いを定めたものと認められ、かかる取扱要綱が佐貫に告知されていたと認めるに足りる証拠はない。

もとより、佐貫のような人事係は、このような取扱要綱を知つていた方がよかつたであろうことは論のないところであるが、同人は、むしろ沼田の前記申請の不備を指摘することなく受理して東京都外務室へ進達した渋谷労務管理事務所の取扱に信頼していたものと認めるのが相当である。

従つて、職種変更による語学能力の考査申請には、職種変更証明書の添附を要するということは人事係として当然知らなければならない知識であるとも認められないし、またかかる知識のないことは人事係としての能力を疑わしめる程度の事情であるとも認められない。

更にこの一事だけで佐貫の解雇をもたらす十分な証明とならないことは真正に成立したものと認める甲第八号証の三も認めているところである。

二  出張旅費の支払遅延について

支部勤務の日本人従業員の出張旅費については、概算払の制度があつたことは当事者間争ないが、原告主張の「佐貫が概算額支給の手続をとることを怠つたため、各自自費で出張するのやむなきに至らしめた」との点についてはこれを認めるに足りる証拠はなく、却て証人伊藤僖久枝の証言によれば、佐貫の前任者が支部発足以来精算払のみ行つており、佐貫もこの慣習を踏襲したに過ぎないことが認められ、また真正に成立したと認める甲第八号証の三によれば、支部米軍側も支払遅延さえなければ、この制度で十分と考えていたことが認められる。

そして佐貫が支部員の出張後の旅費の請求について、その支払証明書を労務管理事務所に提出するに当つて一ケ月分をとりまとめて提出していたことは当事者間争ないところで、証人伊藤僖久枝の証言によれば、旅費の支給が遅れ、支部員より苦情があつたが、支払証明書をまとめて提出するのは佐貫の前任者も同様であり、むしろ前任者の方がまとめる期間が長かつたこと、また支払証明書の一括提出は労務管理事務所の希望によるものであること、更に右書類が同事務所についてから支払まで二ケ月くらいかかつたこともあることが認められ、また成立に争ない乙第一号証の九によれば、佐貫の人事係就任前から出張旅費の支給は遅れがちであり、佐貫が人事係に就任してからは、むしろ支給がいくらか早くなつたことが認められる。

右認定に反する証人蛭田研一の証言部分は記憶が不確実なため右認定を覆すに足りる証拠価値があるとは考えられない。

次に証人佐貫勇の証言と真正に成立したと認める甲第八号証の三によれば、昭和二八年三月頃支部のブリッジス中尉が支部員より旅費の支給が遅れることについて苦情があつた際、労務管理事務所に手紙を書こうとして佐貫に相談した際も、佐貫が消極的な態度であつたこと、ブリッジス中尉の書簡が契機となり、労務管理事務所との連絡により、旅費の支給の遅延が改善されたことが認められる。

この事実から見ると、支部の米人が佐貫の仕事振りが消極的であるとの印象を受けたと認めるのが相当であるが、この事実や前記一の事実が後記のように佐貫の解雇を決定する理由となつたものとは認められない。

三  英文タイプの校正不備等について

原告主張の「佐貫は英文を自ら起案する能力がなく、また同人の英文タイプの校正不備のため、文書を打ち直すことがしばしばくりかえされた。」との点については、真正に成立したと認める甲第八号証の三にはこれに添う記載もあるが、右記載は証人伊藤僖久枝の証言と対比し、たやすく信用することができない。

もとより佐貫の英語の能力が米人から見て高く評価されていたとは認められないが、証人佐貫勇、同伊藤僖久枝の各証言によれば、佐貫は昭和二五年二月から支部において三年以上(ボーリング大尉が隊長となつてから約一年余)特殊通訳翻訳の事務をとつており、支部勤務の日本人の中では、相当英語ができるものと評価されているのであるから、支部隊長ボーリング大尉が昭和二八年六月卒然と佐貫の英語の能力が他の日本人とくらべて解雇に価する程貧弱であると認めたということはたやすく考えられないところである。

四  佐貫の解雇と不当労働行為

以上認定のように佐貫の職務上の過失は極めて軽微であることと、当事者間争ない別紙命令書第二、三、四項記載の事実および証人佐貫勇、同佐藤武男、同柴橋貴恭、同中村清哉、同田口広憲の各証言によつて認められる。(1)別紙命令書第四記載の佐貫の発言はボーリング大尉が退席したのち行われたが、発言当時日本人従業員の後方には隊長補佐エルキンス、同ガツンヤード、同支部労務士官ブリッジス中尉がおり、佐貫の発言に対し二〇名くらいの日本人従業員が賛成の意を表したので、日本語を解しない前記米人達においても、佐貫の発言が組合結成を激励する趣旨であると理解されたこと、(2)佐藤武男が組合結成に要する費用の支出、組合員名簿の作成等の用事で隊長以下全員が一室にいる支部内で組合結成準備会の金銭保管係をし、かつ、勤務も人事係の職務にあつた佐貫と頻繁に連絡し、佐藤が昭和二八年六月二六日ボーリング大尉に組合結成の報告に行く際も佐貫と相談し、翌二七日佐藤が同大尉より解雇の言渡を受けた直後も佐貫のところへ行つて相談し、支部内米人より佐貫が組合結成の中心人物の一人と思われたこと、(3)昭和二八年六月二七日佐貫がボーリング大尉より解雇通告書を手渡された際、同大尉に「これが三年以上も忠実に勤務して来た者に価するかどうか」聞いたところ、同大尉はこれに答えず、かえつて「お前は今朝のこと(別紙命令書第三項記載、の昭和二八年六月二七日朝の佐藤の解雇までの事実)について一〇〇パーセント責任がある。お前は自分に反抗する首謀者の一人だ」と答えたことを総合して考えると、佐貫の解雇の真の理由は同人が組合結成の中心的人物と思われたことにあると認めるのが相当であつて、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

第四中村清哉の解雇について

同人が昭和二四年七月以来通訳兼翻訳者として雇われ、支部において契約管理事務に従事していたことは当事者間争ない。

一  書類返還の拒否について

成立に争ない乙第一号証の一中中村清哉の解雇通告に対する反駁文および証人前田利喬、同中村清哉の各証言によれば、支部のアドバイザーであるマッコールの命令によりその秘書が昭和二八年六月上旬頃中村のところへ書類を取りに来たところ、当時中村のところには、その上役であつた山崎穰が出張不在中のため、書類が沢山たまつていたので、中村は、その書類に関し日報にも記入しなければならなかつたし、かつ、求められた書類も今すぐ渡さなければならない程重要なものでもなかつたので、一寸待つて貰いたいといつたこと、そして一〇分程のちに右書類を交付したことが認められるが、この程度の事実では、書類の返還を拒否したとか、命令を拒否したという程のことでもなく、当時の労務士官ブリツジス中尉にもその事情を話し、了解を得ていたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

二  検査用見本の廻付解怠について

前掲乙第一号証の一中中村清哉の反駁文、証人前田利喬、同中村清哉の各証言によれば、同人は、昭和二八年六月一六日頃終業時刻の五分前頃、検査書類と見本を受けとつたが、その頃検査係の顧問リチャードソンはすでに帰宅していたので、契約管理事務の責任者である山崎穰と相談の上、明朝提出することとし、見本を自己の机に入れておいたが、翌朝書類のみをリチャードソンへ届け、同人の要求を受けたのち同人に見本を提出したことが認められる。

証人前田利喬の証言によれば、右のように契約管理事務係に対し、終業時刻間近に見本が提出され、翌朝同係から米人係官へ提出する場合、見本を机の上においたり、抽斗に入れたりして保管するのが当時の職場の通例であつたと認められるし、また前記認定のように上司の山崎の承認を得て抽斗に保管したのであるから、中村が見本を抽斗に入れて保管したことが特に職務怠慢とは思われない。

この点に関する真正に成立したと認める甲第八号証の四の記載は信用することができない。

なお、中村が翌朝リチャードソンの要求を受けるまでもなく、見本を同人に提出した方がよかつたことは勿論であるが、成立に争ない乙第一号証の九によつて認められるアメリカの監督官でも日本人の検査員でも見本を持つて来てから一週間くらいも置き忘れた例もあつたが、かかる事由で解雇された日本人従業員はなかつたことから見ると、中村の前記行為が過失であるとしても、その程度は極めて軽微であつて、到底解雇に価する事由とは認められない。

三  契約者に対する問合せ、通知等の遅延について

中村清哉が契約者に対する問合せ、通知等の事務に従事していたことは証人中村清哉の証言によつて認められる。

しかし、同人の右事務の処理がしばしば遅延し、米人監督に注意されて始めて処理に当る有様であつたとの原告の主張事実を認めるに足りる証拠はない。

真正に成立したと認める甲第八号証の四、成立に争ない同第一一号証には、右原告主張事実にそう記載があるが、(1)右記載には具体的事実について詳細な言及がなく(2)証人中村清哉、同前田利喬の各証言によれば、同人等は、中村の通知の遅延ないし米人監督による注意や懲戒の如き事実は全く思い当らぬと供述しており(3)成立に争ない乙第七号証の三中山崎穰の供述録取部分によれば、中村の勤務成績はよく、昭和二八年一月にボーリング支部隊長が事務係職場に従事する者二三名中四名を勤務成績優良として表彰した際、中村はその一人として表彰されたことが認められ(4)成立に争ない乙第一号証の一中中村清哉の解雇通告に対する反駁文および同第五号証の二によれば、中村は昭和二八年六月二日より同月一四日まで日本人監督山崎穰が出張不在中同人の事務をも取扱い、ブリッジス中尉より賞賛されたこと、また同中尉は「中村ほどよく仕事をやる者はない。」とほめて推薦状を同人に交付したことが認められ、これらの事情を総合して見ると、前掲甲第八号証の四、甲第一一号証の前記記載は十分な信憑力があるものとは認められない。

四  万能統制カードの処理の不手際について

証人前田利喬、同中村清哉の証言によれば、(1)支部内で直接右カードを処理している者は前田利喬であつて、同人にその事務の処理を命じた者は山崎穰であること、(2)中村は前田が右カード事務を処理するについて疑問があれば、相談を受ける程度の監督的地位にあつたが、直接右カードの処理に当つたことはないこと、(3)中村の解雇前に右カードの処理が中止されたことはなく、同人の解雇後前田の後任者が多忙のため右カードを処理することができなくなつたためと右カードが実状に合わないため自然と中止され、その後は右カードとは全然企画の異つた簡単なカードの制度になつていることがそれぞれ認められ、右認定に反する前掲甲第一一号証の記載は信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

従つて、原告の中村が万能統制カードの処理に不手際であつたとの点に関する主張事実は肯認することができない。

五  中村の解雇と不当労働行為

以上認定のとおり、原告主張の中村の職務上のミスは極めて軽微なものしか肯認できず、しかもこの程度のことで解雇された従業員はいないこと、同人は他の事務系統の職員の中では勤務成績は良好な方であつたことと、当事者間争ない別紙命令書第二、三、四項の事実を総合して考えてみると、中村の解雇は、同人が組合結成を抑圧しようとした支部隊長ボーリング大尉の発言に対し卒先して反対し、組合結成に努力したことにあるものと認めるのが相当であつて、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

第五西山陽の解雇について

一  西山陽は昭和二五年一〇月以来支部において機械の部品検査の事務に従事していたが、昭和二八年六月三〇日同支部隊長より事務部へ配置転換を命ぜられたことは当事者間争ない。

二  原告は、西山の配置換の理由は、同人が原告主張の理由により検査員として信頼できなくなつたことにあると主張しているが、成立に争ない甲第一二号証によれば、支部隊長ボーリング大尉は、西山の検査員としての仕事振りは、検査報告書の作成の点を除いては満足できるもので、西山が信頼できないと信ずべき理由は何もなかつたと考えていたことが認められるので、この点に関する原本の存在とその成立について争ない甲第四号証の記載は信用できないし、西山の配置換の理由に関する原告の主張事実は到底肯認することはできない。

のみならず、原告主張にかかる生産見本が準備されていなかつたこと、軍給資材の保管の監督が不十分であつたとの点については、右各事項が西山の職務であつたことを認めるに足りる証拠はなく、更に西山の検査不備のため船積拒否を受けた事実を認めるに足りる証拠は何もない。

また検査先において茶を喫していたことが特に検査員として信用しがたい事情になるものとは考えられない。

かえつて証人西山陽の証言によれば、西山は昭和二八年一月隊長ボーリング大尉より船積前検査の拒否もなく、仕事のやり方が優秀であるとして表彰され、その後解雇まで何等の職務上の過失がなかつたことが認められるので、原告主張のような検査員として西山を信頼することのできないとする事情はなかつたものと認めるのが相当であつて、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右の事実と成立に争ない乙第一号証の二、乙第五号証の一、証人田口広憲、同西山陽の各証言によつて認められる。

(1)検査員が事務係職場へ配置換になつたことは前例がないこと、(2)西山は、支部内でも検査員としての経験の深い技術者であつて、事務の経験が全然ないこと、(3)西山は二五パーセントの語学加給手当を受けており、英語の能力も普通であることを考え合わせると、西山を事務系統の職場へ配置換すべき合理的な理由は何もなかつたと認めるのが相当である。

三  成立に争ない乙第一号証の二によれば、支部隊長ボーリング大尉は昭和二八年七月二〇日西山に対し「お前は当然首になるべきだが、特に事務部へかえてやるつもりだ。君は事務部へ行くか、自己退職するか、あるいは解雇されるか何れか一を選べ。解雇されると最早米軍施設への就職ができなくなるから、自己退職した方がよい。」と再三自己退職をすすめたことが認められる。

四  以上の事実と当事者間争ない別紙命令書第二、三、四項記載の事実とを総合して考えると、右配置換の真の理由は、同人がボーリング大尉の組合結成を抑圧しようとする発言にするどく反駁し、組合結成への努力をしたため、同人を解雇しようとしたが、同人にはとりたてる程の職務上の過失がなかつたので、同上が技術者として承諾することが困難であり、かつ、同人にとつて不利益な事務系統の職場へ配置換する命令を発し、これをもつて同人が組合結成運動をしたことに対する報復とし、同人がこれに服しなかつた場合には、これを理由として解雇し、もつて同人の解雇の口実をつくる企図でなされたものと認めるのが相当であつて、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、右配置換は、諸給与の面においては不利益を伴わないものであることは当事者間争ないが、技術者である西山にとつては、自己の知識、経験を生かすことができず、全くの未経験の事務を与えられる点において不利益な処遇であることは明白である。

従つて、西山の解雇は、表面は、配置転換命令に対する不服従となつているが、その実質上の理由は、前記隊長に対する反駁的発言ないし同人の組合結成への努力をしたことにあると認むべきものである。

第六結論

以上のとおり、佐藤武男、佐貫勇、中村清哉および西山陽に対する解雇は、いずれも労働組合法第七条第一号の不当労働行為であるといわなければならない。

これに対し、東京都地方労働委員会が同人等の原職復帰、賃金の遡及支払を内容とする救済命令を発したことは、当事者間争がない。

原告は、右命令中原職復帰の点は、米軍がこれを拒否していて、原告としてはこれを履行することが不能であるから、不能を強制する右命令は違法であると主張する。

しかしながら、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定第一二条第五項によれば、米国も「賃金及び諸手当に関する条件のような雇用及び労働の条件、労働者の保護のための条件並びに労働関係に関する労働者の権利は、日本国の法令の定めるところによる。」ものとしているから、原職復帰の命令の履行が不能であるとは法律上はいえない筋合であるし、また仮に原告が前記四名の原職復帰を米軍に強制し得る手段を有しないとしても、かかる地位にある使用者に課せられた原職復帰の命令は、原職復帰の実現のためにおよそなし得べき最大の努力をすべきことを意味しているのであるから、かかる命令の履行が不能であると称し得ないこと当然である。

以上のとおり、東京都地方労働委員会の救済命令は適法であるから、これを支持し、原告(形式的には、原告の機関としての東京都知事)の再審査請求を棄却した請求の趣旨記載の被告の命令が適法であること明白である。

よつて、右命令の取消を求める原告の本訴請求は理由がないから、これを失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 大塚正夫 花田政道)

(別紙)

命令書

再審査申立人 東京都知事

再審査被申立人 佐藤武男 外三名

右当事者間の中労委昭和三十年不再第一号不当労働行為再審査申立事件について、当委員会は、昭和三十年十一月三十日第二百四十三回公益委員会議において、会長公益委員中山伊知郎、公益委員細川潤一郎、同藤林敬三、同吾妻光俊、同佐々木良一、同中島徹三、同小林直人出席し、会議のうえ左のとおり命令する。

主文

本件再審申立を棄却する。

理由

認定した事実及び判断

一、再審査被申立人佐藤武男、同佐貫勇、同中村清哉及び同西山陽は、いずれも再審査申立人東京都知事に雇用され、東京都千代田区丸の内二丁目十二番地旧日立ビル四階に事務所を有する在日米軍調達部東京支局に勤務するいわゆる間接雇用労務者で、佐藤は昭和二十四年六月顧問として雇われ化学物資関係の検査官に、佐貫は昭和二十五年二月特殊通訳翻訳者として雇われ日本人従業員の管理人に、中村は昭和二十四年七月特殊通訳翻訳者として雇われ事務関係の副監督に、西山は昭和二十五年十月顧問として雇われ自動車部品関係の検査官にそれぞれ従事してきたものである。

二、昭和二十七年五月、在日米軍調達部東京支局の隊長バンテイン中佐が他に転出し、ボーリング大尉がその後任に就任して、ガツシャード軍属を補佐とし、ブリッヂス中尉を労務担当官として以来、日本人従業員に対し過酷な出勤停止、解雇等の処分を行う事例が多くなつたので、昭和二十八年二、三月頃より従業員中より従来の懇親会を改組して労働組合を結成し、労働条件を改善しようとする気運が生じ、同年四月従業員八十五名中七十七名の賛成のもとに労働組合設立委員会ができ、佐藤は選ばれてその委員長に就任した。同年六月にいたり組合規約等の案文も完成し組合結成と同時に駐留軍労務者の全国的組織である全駐留軍労働組合に加盟することとし、組合名を全駐労東京地区本部J・P・A東京調達支部と内定し、組合結成大会の日時を同月二十七日(土)午後一時と定めた。

三、佐藤は組合結成大会の前日たる同月二十六日、組合規約及び組合員名簿を携えボーリング隊長の許に赴き、右規約及び名簿を提出し、組合結成の旨を報告したところ、隊長は釈然とせず、外部団体加盟を前提とする組合結成には断乎反対する。若し外部団体に加盟するなら組合員全員でも馘にするかもしれないなどと言つたが、佐藤は屈しなかつた。隊長はさらに、組合結成大会の当日たる同月二十七日午前八時過頃、米人軍属等を含む全員を一室に集めて訓示し、前日佐藤に言明した趣旨を繰返し、且つ、強いて外部団体に加盟するにおいては、現に実施しようとしている四十数名に対する昇給推薦を取止め、これまで看過していた些細な規律違反例えば出勤時の数分の遅刻なども看視を厳重にして取締るなどといつたが、従業員中には組合結成の意志をひるがえす者なく、殊に中村は他に卒先して、上部団体への加盟が何故不都合か、又隊長就任以来些細な職務上のミスについても過酷な懲罰が加えられるが、罰則を科する場合はそれを成文化して一米人の感情で従業員を罰することの出来ないようにされたい旨、次いで西山も又、上部団体への加盟が何故不都合か了解に苦しむ旨繰返し、こもごも隊長に対して反駁的質問を行つて注目をひき、従来懇親会の世話人で会計を担当し、且つ組合結成準備金を保管し佐藤と連絡のあつた佐貫も起つて、懇親会では法的保護を受けることができないからこの際これを改組し、労働組合を結成する必要ある旨を力説して一同を激励した。しかるところ、隊長は、同日午前十一時頃佐藤を隊長室に呼び即時解雇を言渡し、続いて同日正午頃ブリッヂス中尉を通じて佐貫に即時解雇を言渡した。組合結成大会は予定通り同日午後一時頃より浜離宮公園の会場で挙行された。ボーリング隊長はその翌々日である六月二十九日(前日は日曜日)ガツシャード軍属を通じて中村に即時解雇を言渡し、さらにその翌日である六月三十日同軍属を通じて、西山に検査より事務に配置転換を命じた。西山はボーリング隊長に面会、配置転換の理由を質した後、希望しない旨を述べて三日間の余裕休暇を得、続いて七月十九日迄病気欠勤をしたが、七月二十日出勤したところ、ボーリング隊長は同人に重ねて事務への配置転換を命じたが、最後に配置転換、自己退職、解雇の何れかを選ぶことを迫り西山がこれを拒否したところブリッヂス中尉を通じて同人に即時解雇を言渡した。

各人に対する解雇通知書は、佐藤、佐貫、中村の三名に対してはいずれも前記解雇言渡の日よりもずつとおくれて同年七月二十日付で出されたが、それによれば職務の実情が在日米軍調達部東京支局の要求する基準に達しないことを解雇理由としており、西山に対しては七月二十二日付で検査官としての資格の欠如及び配置転換拒否を理由としている。

四、全駐労東京地区本部J・P・A東京調達支部は、前記解雇の結果、組合員が動揺し脱退者が続出し、結成後はその活動は萎縮してしまつた。

五、(イ) 佐藤、佐貫、中村については、過去に職務上の些細なミスのあつたことは認められるが、しかし、これらのミスというのはいずれも単純な過失ともいうべきものであつて、到底解雇に値するものとは認められないし、他に右三名が他の従業員に比して職務の実情が劣つていたと認めるに足る疎明も無いのであるから、右三名の解雇理由についての再審査申立人の主張はこれを容認することができない。してみると右三名解雇の決定的動機をなしたものは、本件組合結成についてのいきさつ並に解雇がその時期に接着して連続的に行われた事情に鑑み、組合結成についての前記認定の如き同人等の言動にあるものと判断せざるを得ない。

(ロ) 西山については、同人が従来隊長から調達のエキスパートと信頼され、検査官として何等のミスもなかつたことが認められるから検査官としての資格の欠如という再審査申立人の主張は措信出来ない。それにも拘らず中村解雇の翌日突然検査官本来の仕事とは云い難い事務の仕事につくことを迫り、同人が一応これを断つて休暇及び病気欠勤の後七月二十日出勤するや、事務への配転、自己退職、解雇の何れを選ぶかを再び迫り、これを拒否するや即時解雇に及んだものであつて同人が七月一日から同月十九日まで出勤していない点を考えれば、配置転換から解雇に至る行為は前記三名と日を連ねてなされた一連の行為と認めざるを得ず、本件解雇の決定的動機をなすものは同人が六月二十七日朝隊長になした発言にあるものと云わざるを得ない。結局、四名の本件解雇はいずれも同人等の組合結成活動を理由とした一連の不利益取扱と認められ、労働組合法第七条第一号に該当する行為である。

六、再審査申立人は、本件解雇の如き軍の直接解雇は、最終的効力を生じ争うことができない旨抗弁するが、間接雇用の労務者に対し直接の使用者から不当労働行為がなされたときは、雇用者たる国においてその責任を負うべきものである(中労委昭和二十九年不再第四号事件命令書参照)から、再審査申立人の抗弁は採用しない。

七、以上のとおりであるから、再審査申立の理由は認められない。よつて労働組合法第七条、同第二十五条、同第二十七条、中労委規則第五十五条により主文のとおり命令する。

昭和三十年十一月三十日

中央労働委員会会長 中山伊知郎

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